SEEDA CONCRETE GREEN Blog feat. MoNDoH, Chris Mako

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ISH-ONEロングインタビュー pt.1 byしだ

SEEDA:これまでのISH君のキャリアと言うか、今に至るまでの 話を教えて貰っていい?



 ISH-ONEHIPHOPとの出会いは小学校6年でMTVMC HAMMERを見たんだよね。それでMC HAMMERを聴いた翌日に妹と妹の友達を連れて「お前らダンサーやれ」って言って何もわからない英語をエレクトーンの台の上でラップしてたって言うのが最初だね(笑)。

そこから入ってICE-Tを聴き始めて、リリックにやられてモブ・ディープ、ナズ、2PACBIGGIE

とか聴いてた。その頃には少しずつRAPも書いてたりしたけど、高校卒業して18の時にNEW

YORKに行ってそっから本格的にのめり込み始めたね。一年くらい語学学校行ってたんだけどやめて、2年くらいでYASUくん、SAGGAに出会って音楽ばっかやってたかな。ライブやって、バトルやって、MTRでカセットテープで曲創ったり。ある時タイムズスクエア歩いてたら「あなた達HIPHOPやってるの?」って黒人の女の人に声掛けられて、それが後のマネージャー シェラーとの出会い。


その後そのシェラーが住んでたハーレムのPJproject 低所得者向けの公団)が事務所兼自宅

兼スタジオになってスタテンやブルックリン、クイーンズの色んなMC/DJとかと交流持つようになった。JIN(ラフライダース)、レッド・アラートとかにも会って、それからエンジニアの学校に行ってたんだけど、そこでも色んなアーティスト達と交流して色んなものつくって。その時にワイクリフとか、ローリンのエンジニアのコミッショナー・ゴードンと知り合いになって曲録ったり、ラジオ出たりもした。今考えればかけがえの無い俺のアイデンティティーを形成した時期かなぁ。

2002年に日本に帰って来てその時に SEEDAに会ったんだよね。B-BOY PARKMCBATTLEに出たりしてて、そこで良いとこまで行った・・・のかなアレ(笑)。そん時に初めてSEEDAと曲作ろうって話になったんだよね、「ILL VIBES」に入ってる。で、NEW YORKと日本を行ったり来たりしてたんだ。で、その頃NEW YORKの極寒の路上でキャッチやってたんだよね、52STREETのピアノバーがあって。ひたすら路上ハスリン!アレはアレで楽しかったね。人間の光と闇色々学んだ。


そのころに知り合ったモハメドって言う元々日本でビジネスやってて、海外にこうマネー・ロンダリングしに来てる様な悪い金持ちがいて、そいつがレコード・レーベルを始めるからって言ってて。その時にワイクリフがレーベル始めるからそこのアーティストになってくれって話があって、で契約金も良くて話が進んで。最初のうちはエミネムじゃないけど何んでも言っちゃう様な、日本にないHIPHOPアーティストとして出したいって言ってたから、そういうスタイルでワイクリフとかワイクリフの弟とかとアルバム用の曲とか作ってたんだけど、いざ日本に送ってみると×××とか×××みたいな会社が歌詞をこうもっと、攻撃的なテーマじゃなくてラブソングみたいに変えてくれないかって言われて。そこでうちのレーベルは俺らがこういうスタイルでやって来たのも知ってるから守ってくれるもんだと思ってたんだけど、やっぱりスタイルを変えてくれないかみたいになっちゃって。そのマネーロンダリングしてた社長も日本で×××の社長が捕まった時に色々バレてて、日本帰って来た時に捕まっちゃって金の云々も出来なくなって、ぐだぐだだったんで。「やることやったしNEW YORKはもう終った。」って思って契約破棄して日本に帰って来た。それで1年くらい名古屋でやってたんだけど、どこもそうかも知れないけど、元々地元でやってた奴はサポートするけど、自信ある奴をあんま認めないっていうか、NEW YORK行ってたってお前誰だよ?みたいな雰囲気もあったからそこでやる必要もねーかなと思って、色んな友達や知り合いも東京にいるからって東京に来たんだよね。東京ってやっぱビジネスの中心地だし、人も情報も金も集まる大都市だし、日本全体のカルチャーって東京から発信されてる気がするから。でこっち来てアルバムを出して、MIX CD出して、普通のラッパーの仕事をしてるだけみたいな(笑)。


pt.2に続く。。


2008-07-29 21:07:14投稿者 : えせライター