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アルバム「SEEDA」 インタビューby山田文大

ラッパーSEEDA/アルバム『SEEDA』

 その人間と作品が伝えているもの
 SEEDAの引退は“事件”なのか?

 「ラッパーSEEDAの引退」ということが、シーン及び世の中でどのように伝わり、どういう共通認識が持たれているのか? 筆者はそういうシーンにおける認識などについて理解してこの原稿を書いているわけではない(引退についてのSEEDAのコメントをブログで一読しただけ)。このインタビューはSEEDAの七枚目のアルバム『SEEDA』についてのもので、SEEDAが引退発表をする一週間前くらいに行ったものだったと記憶している。とは言え、このインタビューのなかで引退の言葉は一切出てこなかった。しかし、引退するという話を最初に人から聞いて、このインタビューを思い返してみるとSEEDAの引退に対する思いであったり、そこにある本質的な意味が垣間見えるような気はする。少しだけ個人的な話をすれば、「SEEDAが引退した」と聞いてもほとんど何も思わなかったし感じなかった。「へ〜そうなんだ」くらいのもので。それは、アルバム『SEEDA』を作った才能が、このまま新たなものを何も生み出さずに世から消え去ると考える方が不自然だからだ(筆者が認識しているアーティストとはそういうものだ)。だから引退と聞いても、次にどういうカタチで世に現れるのだろうか? と思うくらいだった。これは個人的な考えかもしれないし共感を得たいわけでもないが、「引退」という行為や言葉と「表現」というのはあまり関係がないものだと思う(最近、関係ないと思ったことに「逮捕」と「表現」ということもある)。筆者は「表現」の方にしか興味がないし、「引退」というニュースに沸く前に出たばかりのアルバム『SEEDA』を一度でも多く聴きたい。でも、みんな沸いた方が多分“SEEDA”にとってよいことだとはもちろん思う。とにかくSEEDAにとってヒップホップは、ほとんど生きることと同義のような気がするし、今回の「引退」はSEEDAのヒップホップへの、また表現するということへの強い渇望のあらわれのようにすら筆者には思えた。
「単純にラッパーとして胸を張れるようになったから、“SEEDA”っていう名前をつけただけっすね」
 これは、アルバムのタイトルになぜみずからの名前を冠したかという質問に対するSEEDAの回答。
「『HEAVEN』のときはまだ違ったと思う。僕なりに世の中の風を感じていつも歌詞に取り組んでいるつもりで、この(今回のアルバムの)タイミングだったら、自分のなかにいる自分も許してくれたし、なんかいいと思ったんですよね。なんかいろんなタイトルを考えた。結局、すべてのアルバムが『SEEDA』でも良かったとも思ったし、バージョン1、バージョン2、バージョン3みたいな。でも、どれだけの人が僕を聴いてくれるっていうのもあったんです。今回は注目も、期待値もちょっとかかっていたのを感じていたので。例えばファーストとかセカンドのときは、まだそうじゃなかったと思う。今回はラッパーとして人が見てくれている瞬間に、なんとなくみんなを吹っ飛ばしてやりたかったっていうんですかね。まぁまとまってないかもしれないけど、毎日毎日時の流れを感じてすべて行動してるって感じっす。なんかそう思ったんすよね。二、三ワードのタイトルより、ワンワードでSEEDAの『SEEDA』の方が覚えてくれるしラッパーっていう感じもするかなっていう。そうですね、単純に一番はラッパーとして胸を張れるようになったから『SEEDA』っていう名前をつけただけっすね」

 SEEDAのモチベーション
 そしてイマジネーション

 “注目度、期待値がかかっていたのを感じた”
 こういうことを言えるのも、SEEDAがきっと今という時代を生きるアーティストとして世の中に必要とされているからだろう。「CDが売れない時代」とか「昔の客が入ってた現場」とか、こういうことばかりを口にしてしまう自称アーティストには言えない重みを感じさせる言葉だ。CDが売れない時代というのは絶対に事実だし、それによって才能が出にくかったり、アーティストもレーベルの運営者も例外なく、文字通り死闘を繰り広げているのだと思う。  
 SEEDAが意識して今回ほとんどサンプルを世に撒かなかったのも(これはコピーされ撒かれるのが嫌だったからだという)、般若が新しいアルバムで一切のプロモーションをしないのも、今という時代を表現者として生き抜くための「死闘」の現れと言えるかもしれない。
「本当にポジティブで、前向きな感情のときにしか今回はスタジオに入っていない」
「なるべく人が聴いてくれる土俵に自分が良いと思う音楽を置けるようにするっていうか。人に聴いて欲しくなくてラップやってるやつなんていないと思う」
 このふたつのセリフはインタビューの最後にSEEDAが何気なくいったような一言ではあったが、やはりSEEDAの自身の作品に対するシンプルな思い、そしてそれすら越えて、また今後(いわゆる引退後)の活動について暗示するもののようにも思える。「人に聴いて欲しくなくてラップやってるやつなんていないと思う」という一言はアーティストにしてみれば当然の欲求で、やり方は違えど、みずからが思う努力を積み重ねることでしか結果(良質な作品)を導くことはありえないだろうし、SEEDAが今回感じたという“注目度”も“期待値”も、SEEDAがみずからラップで築いたもの(それこそ「テリヤキビーフ」にしたってそのひとつだろう)に他ならない。
「インドの音楽とか聴いているとレベル高いんですけど、最近、2009はクォリティー勝負みたいになってきている。なんていうんすかね? 玄人的にですけど、音がちゃんと絶妙なところで、聴こえどころがっていうかが超バランス良かったり、歌詞の言い回しだったりが今までにないとか、すべてのクォリティー勝負になってきているんで。絶対負けたくないから。やっぱりBLくんだったり、そういう人の力が必要になって来る。なにがティンバーランドだよ、こっちはBLだぞっていうくらいイケたらいいなっていう。ティンバーランドは世界で一番尊敬しているからあれだけど…BLくんもすごいです。黒人はヒップホップを黒人のモノだと思ってるんですよね。そこに日本でこんなの作ったぜみたいな。いわしてやりたいっすね。世界で勝負したいですね。そういうモチベーションで最近やっています」
 そして、リリックについて。 
「基本的に僕のリリックは、あれっぽいすね、僕が知ってる世界の中で、狭いかも知れないですけど、ある日本の中の自分の立場からスタートみたいな。だからいろんな個人的な単位のとこから、自分がギリギリ見えるくらいところまでのところで書く。その間の割合は、なんか曲によって…みたいな。あと今まではずっと自分の意見をラップしていたんですよ。俺はこう思う俺はこう思うって。ただ今回はもう少し深く思って、まわりの人の意見をリリックにとりいれるというか、人の意見で僕が納得した意見をいれてる。なんで今までやらなかったんだろうって思うすけど、なんか急に、自分の中での流れなんでしょうね。自分でそうしたいと思ったんです。良いか悪いかわからないけど。
これで俺の世界観だ。俺の仲間も俺の世界をレペゼンしてる、みたいな。ほとんどは『俺は』というところだったのが、『俺らは』っていう気持ちで歌ってますね」
 ここでSEEDAは「俺が仲間をレペゼンしている」というのではなく、「俺の仲間も俺の世界をレペゼンしている」のだと言う。ビートからリリックまで「音楽的な表現」について語ることに、SEEDAのインタビューは明確で煙に巻くようなところがなく、言い訳めいたところがまったくない。
 そして、恐らくこの明確さがイマジネーションを生み、優れた作品を生み出すに違いない。「リリックは深いところまで考えてる」とか「偶然なんだけど必然」みたいな物言いを筆者には理解ができない。徹底した「必然」のためのトレーニングや、しなければいけなかった努力を怠ってしまったことへの言い訳のように聞こえるからだ。
 「必然」のために99の問題をクリアしてはじめて、「偶然」という神が微笑み、唯一無二の表現は生まれる可能性が出てくる気はする(ここら辺になってくると自分にも難しくてわからないが)。だが、その1が来なくても、次の99の問題はまた襲いかかるのだ。
 アナーキーや般若(もちろんまだまだいるが)という今の時代に生きるラッパーは、みんなインタビューをしても自作に対しての明確なものが話していて伝わってくる。
「聴いて貰う人はまかせるっす。『気にいらねぇ』っていわれてもしょうがないですし、もう自由っすよ。『もうあいついらねぇよ』っていう声が高まってきたら自然と僕がラップやりたくたってできなくなると思いますし。時代の波に呑まれるときは来ると思うんで。生きてるから死ぬってわけじゃないですけど。それまで一生懸命やって素直に受け止められるように。好きか嫌いかっていうのはしょうがない、わかんないっす。ご自由にどうぞっていう感じっす。できれば好きでいて欲しいし。ただ僕はこのアルバムで超金欲しいっていうか、いつもそうですね、金欲しいですね、そのモチベーションで生きてます。ただ、これが金にならなくてもいいですね。例えば僕がCDを出さなくなったとしても、『君に曲書いたから聴いてよ』『最近のこういうことを書いたから聴いてよ』みたいな。音楽はライフワークですよね。表に立ってても立ってなくても、隙を突かれても嫌われても大丈夫っす。ヒップホップを好きでいてくれたら。俺がヒップホップを好きだから。そんな気持ちです」
 前にも書いたように、このインタビューはSEEDAの引退に際して行ったものではない。だが、ここで言っていることは「表現者」として新たなものを獲得した手応えを感じさせるし(「ラッパーとして胸を張れる」という発言もそうだが)、どうインタビューを聞き返しても、原稿にして読み直しても、何かの終わりを告げるような、少なくともネガティブな感情は一切なかった。

 ガキの頃の俺の夢は
 日本人発のプレミアリーガー
 
 こんなリリックが今回のアルバム『SEEDA』にある。SEEDAのラップは、海外のサッカーに見る日本のフィールドになかったスキルとイマジネーションに富んだパスやシュートを筆者にイメージさせる。ここでいうスキルもイマジネーションはもちろん偶然で生まれるものではないはずだ。蛇足だが、筆者には今回のSEEDAの引退の話は、JAY-Zよりむしろ中田英寿を思い起こさせた。
 SEEDAの引退とは関係ない話だが、名古屋のプロデュースチーム・グランドビーツが手掛けたコンピレーション・アルバム『プロジェクトドリーム5』に入っている般若、アナーキーのラップはとてつもなくヤバい。SEEDAが引退するということをニュースとして話すより、SEEDAのアルバムを聴きたいというのと同じで、そんなことより今はこの二曲がより広く聴かれたらと思う。SEEDAの引退を聞いて筆者が思ったのは、そういうことです。
 曲名は般若が「カルマ」、アナーキーが「Don't Turn Off The Light」。


2009-06-17 03:08:53投稿者 : SEEDA